Web Designing 2011/3 パブリッシング プロジェクト06「新聞・メディア論」が気になったのでピックアップ。
メディアというのは、ちょっとしたきっかけで失われてしまう
「かつて大阪には「壁新聞」があった。その日の出来事をいち早く取り上げて、夕方になると各社が競って地下街に貼り出していた。それが瞬く間になくなった。メディアというのは、ちょっとしたきっかけで失われてしまう。いま起きているのも、そういうことかもしれない」(グラフィックデザイ ナー永原康史氏)
なんかシュールで刹那的。でもこれはリアリティ。
紙の新聞と電子版は対立ではなく互いに補完している
「紙(の新聞)は記憶に残るものであり、読者の記憶に残るような見出しのあり方や、レイアウトなどを考えてきた。電子版は情報収集における「効率性」が重要であり、どうすれば効率的に情報を集めることができるのかに留意して、見出しやレイアウトを考えている(紙「メイン:見出し サブ:主語、ソデ見出し」、電子「メイン:主語、見出し サブ:ソデ見出し」。ポイントは主語の位置。実例がWeb Designing 2011/3 で掲載されています)。
紙の新聞での「記憶」をたよりに、より深く理解できる解説記事を電子版で「発見」してもらう流れをデザインしている。
紙の新聞と電子版は対立ではなく互いに補完している」(日本経済新聞社 山田尚郎氏)
確かにこの姿は理想だ。
ただ、iTunesの普及がCDショップの存在を脅かしたときと似ていることを忘れてはならない。そのときも確か「対立ではなく互いに補完」との声もあったが、結果はどうだったか。最近、米書店チェーン2位のボーダーズ・グループが、連邦破産法11条(日本の民事再生法)の適用を申請したが(電子書籍の普及、Amazonのような店舗を持たないネット販売の影響と言われている)、本当に紙の新聞と電子版は対立ではなく互いに補完できるのか。
実現するかは経営施策が何より重要だろう。
決して悲観的に捉えているわけではない。
個人的には、本もレコードもCDも好きだ。でも場所を取らずに情報を蓄積できるデジタル化も好きだ。だから、すべてが電子化されるのではなく、ほんとに「互いに補完」されたらいいなと思う。
また、この記事内に「紙は「眺める」もので、モバイルは「使う」もの」と表現されている文面があったが、これはまさに的を得ている。Web制作者にとって、もはや「眺める」コンテンツより「使う」を意識したコンテンツ作りが、これからは特に重要だろう。
パッケージ総体ではなく一つひとつの記事が単体で読まれるスタイルに変化
「情報のあり方が、パッケージ総体ではなく一つひとつの記事が単体で読まれるスタイルに変化。音楽業界においてCDといった流通がiTunesな どで曲単体で買える。受け手が自ら取捨選択し、自分なりに再構成する時代に移行してきた。さらにはソーシャル化の進展によって、新聞社と読者が互 いにフィードバックしあう動きがでている」(毎日新聞社 糟谷雅章氏)
ソーシャルを漠然と捉えてしまうと未来が見えないというか、正直つまらない。ただ、パッケージを考える場合に、パッケージ総体で考えるのは危険という点に憂慮すべきで、そこに配慮できたコンテンツに未来を感じている、というかそこを信じて突き進みたい。